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INTERVIEW

​杏沙子の中の絶対的存在。 ”証明したい自分”からの解放〈「絵」スペシャルインタビュー〉

メジャーデビュー作『花火の魔法』からインタビューを重ねて杏沙子の本音を引き出し続け、ポッドキャスト『わたしもこっちなんですけど、最寄り駅まで話しません?』でも共演中のライター・高岡洋詞さんとの、杏沙子の新曲「絵」についてのスペシャルインタビュー。

​撮影 / hanami ヘアメイク / Saki Ogawa

6月7日、青山・月見ル君想フ。杏沙子のワンマンライブ「MOON TALK」で「絵」を初めて聴いたときの感覚はいまも容易に思い出せる。粗削りで生々しく、彼女の達者なポップソングたちの中では異色な響きを持つが、とにかく曲に、言葉に、歌に力があるし、杏沙子の人格の根本部分がこれまでになく露出している。ひとつステージを上げたというか、別の扉を開いたというか。杏沙子のキャリアの中でも特別な曲になるはずだ。


二人で配信しているポッドキャスト『わたしもこっちなんですけど、最寄り駅まで話しません?』(愛称『わたもよ』)の特別番組「MOON TALK振り返りSP」でもその話はしているが、「あらためて高岡さんにインタビューをお願いしたい」と言われたのは収録後だったか。杏沙子自身も確かな手ごたえを感じていたのだろう。

 

ひとつの作品をめぐって、インタビューという形で対峙したのは2020年の夏、アルバム『ノーメイク、ストーリー』のとき以来5年ぶり。さて、どんな対話になったでしょうか。(高岡洋詞)

いままで右に行ってたのが左に行ってるぐらい違う

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──『わたもよ』の特別編のとき、「どの曲がいちばんよかったですか?」と聞かれましたよね。僕は「絵」と即答しました。


そうでした。それでわたしが「うれしぃ~!」って。
 

──本気の「うれしぃ~!」でしたね(笑)。杏沙子さんの本質に触れた感触があったのと、そういう歌だからか、ひときわ思いを込めて歌っている感じがしました。杏沙子さんにとってすごく大事な、特別な歌であることが、
見ていた人全員に確実に伝わったはずです。


ファンのみんなにはやっぱりバレるんですね、そういうとこも。どういう曲なのかっていう説明をしかけて「いや、聴いてもらったほうが早いか」みたいな感じで歌った気がするけど、みんな「これは大事な曲だな」って、ちゃんと受け止めようと聴いてくれていたと思います。


──もともと僕は杏沙子さんに対して、職人みたいな達者な曲を作る人というイメージがあったんですね。そこから徐々にリアルな感触が前面に出てきて、一時期「脱いだ」と言っていた曲も赤裸々だったと思いますが、「絵」の生々しさはもっともっと深い気がします。


はいはいはいはい。いやもう本当にそうだと思います。
 

──達者とは正反対だけれど、殻を破って新しいものが生まれてきた感じ。言葉は悪いけれど、かつての曲が「こういうもんでしょ」と作っていたようにすら聞こえてくるというか。


めっちゃわかります。別に「こういうもんでしょ」って作ってたつもりはないけど、それこそ松本隆さんとか、憧れの対象があって、もちろん足元にも及ばないけど、近づこうとしてやってたところはあると思うんです。正解がちゃんとあって、それに近いわたしなりの回答を出していく、みたいな。でも最近、行き先が変わった気がするんですね。「こういうものが美しい」という理想みたいなものはずっとあるけど、道と目的地が変わりました。いままで右に行ってたのが左に行ってるぐらい違うかも。


──かつての「脱いだ」曲は、歌っている感情は生々しかったけれど、筆致は達者で器用でした。「絵」ではほとんど初めて、優等生じゃない生身の杏沙子が見えた気がするんです。
 

いちばん何も考えずに作った曲かもしれないですね。外からの影響だったりとか、そういうことを本当に気にせずに、「道」以来ぐらいピュアな気持ちで書けたなって思います。いままで邪念があったわけでは決してないけど、他者みたいなものをどこか気にしてたりとか。今回は本当に言葉通り、自分だけのために書いた曲というか、自分しか見えてない状態で書いた感覚になりましたね。SNSとかでもちらっと言ってるけど、いままではどうしても、やっぱりいっぱい聴いてほしいから「バズるには」とか「バズってほしい」みたいなところが邪魔をして……。
 

──邪魔というか、プロなんだからあって当然ですけどね。
 

そこを気にして書いてる部分がけっこうあったんです。でもこの曲は、投げやりな気持ちじゃないけど、そういうのはもうどうでもいいというか、もし広がったらラッキーだしうれしいけど、それよりもとにかく自分のために形にしよう、自分が死ぬときに「書いてよかった」と思い出すとしたらいまのところこの曲かな、と思うぐらい自分のために書いた、書き切れた曲かなって思ってます。ファンのみんなも、わたしのことをずっと見てくれてる仕事関係の方や仲間たちも「ひと皮むけた」とか言ってくれたし、わたし自身、ひとつ違う段階に上がった感覚があります。だからいま晴れやかな気持ちなんですけど、正直、次に何を書いたらいいかわかんなくなってますね(笑)。一周回ってゼロに戻った感じっていうか、まっさらになりました。それこそ真っ白なキャンバスが一度真っ黒になって、そこに点を描き始めたんでしょうね。「こっから自由だよ、どうする?」みたいな状態にリアルになってます。


──僕ももちろん過去の曲がウソ八百だと思っているわけではありませんが(笑)、生まれ変わってここからまた人生が始まるのかな、みたいな……。
 

そう。第2フェーズに入った、ってここまではっきり思ったのは初めてかもしれないです。小さくは何回かあったんですよ。「脱いだ」とか言ってたときも、フリーになったときも。でもでっかいくくりで言うと、「道」を生まれて初めて書いてから9年ぐらい経ちますけど、やっと第1フェーズが終わったな、とじわじわ思ってますね。


──今回、杏沙子さんがあらためて「インタビューしてください」と言ってくれたこと自体、これまでとは手応えが違うんだな、ということの表れでもある気がします。


確かに。リリックムービーも作りましたけど、ぶっちゃけお金もかかるし、無理して作らなくてもいいわけじゃないですか。でも、この曲はなんとしてでも、記録としていろいろ残しておきたいな、みたいにすごく思ったんです。いままでにない手応えみたいなものがあったと思いますね。

ずっとどこかに《証明したい》自分がいる

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──この曲で書かれている考え方って、もともとあったものなのか、それとも経験を重ねる中で徐々に育ってきて、このタイミングで言葉になったものなのか、どっちですか?
 

自由に好きな絵を描きたい、というのは、願いとしてずっとあったと思います。それができる人のことをうらやましいなと思ってたし、それこそ「脱ぎたい」っていうのはそういう意味でもあったのかもしれない。そういう、ほぼ願いみたいな気持ちとしては、ずっと自分の中にありました。自由な絵を描きたいのに、どんどん自分が思ってるのと違う方向に行ってしまったり、一回途方に暮れるようなこともあったりして、わたしはずっと「人に評価される絵」を描こうとしてたな、人に評価されるために描いた絵を自分は好きになれないんだな、っていうことに去年ぐらいに気づいて、この曲を書き切れたっていう感じかな。高岡さんが前に「杏沙子のことを知ってる人が聴いたら “杏沙子だねぇ” って言いそう」と言ってくれましたけど、実際ずっと思ってたことだから。


──すごく杏沙子さんらしい曲だなと思いましたよ。
 

家族にも「本当にあーちゃんだね」って言われました(笑)。自分に願ってることって他人にも願うんだなって思うんですけど、友達が人に評価されたくてやろうとしてることに対して、もどかしい気持ちになることが昔から多くて。「それはあなたが本当に望んでることなの? 自分が望んでることだと思い込んでない? それで本当の幸せにたどり着けるの?」みたいなことを、おせっかいながら思ったりしてたんですね。自分にも願ってるし、人にもそうであってほしいってことは、自分の中ですごく大事にしたいことだったんだなって、曲を書いてて思いました。


──僕はこれまでいろいろ杏沙子さんの曲を聴いてきた中で、いちばん生々しさを感じたのが、「道(re-recording)」の《証明したい》なんですね。
 

うっ……めっちゃ苦しくなった、いま(笑)。言ってますね……《証明したい》って。


──「評価されたい」「認められたい」に加えて「期待を上回りたい」「勝ちたい」みたいな気持ちも混じっているように聞こえたんです。


なんだろうね。何に勝ちたいんだろうね(笑)。
 

──それで『わたもよ』でいろいろしゃべっていて思ったのは、杏沙子さんにとってはおそらくお母さんの存在が人生の中で最も巨大で……。


泣きそう。そうだと思う。
 

──お母さんに勝ちたいわけではないでしょうけど、お母さんに評価されたい、お母さんの期待に応えたい、お母さんに向かって「わたしはやれる」と証明したいという、ある種の戦いとしての側面が強かったんじゃないかな、と思ったんですね。これまでやってきたありとあらゆることが、お母さんとの関係に遡れるというか。


そうだね……本当にそうだと思う。前のインタビューでも話しましたけど、ちっちゃいときっていうか、鳥取にいたときは特に、認められるということが本当になかったんですね。だからわたしは調子に乗っちゃうことをいつも恐れてたと思います。例えばテストで100点とって、まわりが「すごいね」とか「よく頑張ったね」って言ってくれても、お母さんだけは「へー」とか「天狗になるな」とか(笑)。最近はすごくほめてくれるし、それこそ認めてくれてるなって強く感じるんだけど、ずっとどこかに《証明したい》自分がいるんですよね。それはもはやお母さんに対してじゃないかもだけど。


──そう。お母さんの実体というより、杏沙子さんの中にあるお母さん像なんだと思います。


そうだね……そうだね。すっごい芯を突かれてる(笑)。自分が満足するレベルのさらに上をいかないと、ほめてもらえないし、価値がないみたいな。そういう感じになっちゃったのかな……(涙)。あ、お母さん読んでると思うけど、お母さんのせいじゃないからね(笑)。


──そうそう。親子とはそういうもの、というだけのことだと思います。
 

わたしの中のお母さんがいつも自分が満足するライン以上のところにいて、そこがずっと渇いていて、潤ったことが一度もないんだろうな。きっと一生そうだと思う。


──親を超えることはできないし、超えるものでもないし、別の人間ですから、それでいいんですよ。僕は「血がつながっていても他人」とか言うので「冷たい」と言われますけど(笑)。

 

わたしも他人だと思いますよ。お母さんをずっと飼ってるんでしょうね、自分の中に。そこを黙らせるっていうか、証明するためには、ものすごい数の賞賛だったり、みんなから認められることが必要なんじゃないか、みたいなのがあったんだろうね。もちろん、一概に悪いことばかりだったとも思ってないけど。


──「絵」を聴いたとき、そのコンプレックスを、ちょっとだけかもしれないけれど、克服しつつあるのかな、という気がしたんです。
 

そうだと思う。だから書けたんだと思う。
 

──人目を気にするあまり自分の描きたい絵を見失ってしまうのは不幸なことだけど、人間は群れで生きる動物なので、人目を気にすることもやっぱり必要ですよね。


《世界中に誰もいなかったとしたら》って歌詞が出てきますけど、いなければいいって話でもないとは思います。他人と交わるから自分のことがわかるし、他人と関わるから描ける絵もあるし、自分の描きたいものがわかったりもするし。他者がいるから生まれるものも愛おしく感じられるようになりたい、という願いもあるかもしれないですね。


──バランスですよね。あまりにも不自由な人には「もっと自由に」と言いたいし、自由すぎる人には「もうちょっと人目を気にしようか」と言いたいし(笑)。杏沙子さんみたいなタイプの人に対しては、こういうメッセージは有効だと思います。


そうそう、それはめっちゃ思います。この曲のメッセージが当てはまらない人もいるなと思うんですけど、わたしのこと好きって言ってくれるみんなは、よくライブでも言ってるけど、似てる部分があるなってすごく思うから。似てる部分がある人は共鳴してくれるんじゃないかなって。
 

──セルフメッセージソングというか、自分に言い聞かせる歌なんですよね。


本当にそう。わたしがお守りにしたい、この曲を。いろいろ経て得たこの気づきを、メモだけにしとくのはもったいないっていうか、飾れる形にして置いておきたいんですよ。お家やお店でたまにどーんと墨で書いた文字が額に入れて飾られてるじゃないですか。「この言葉をモットーにして生きてきたんだな」みたいな。そういうやつです。自分のために書きたかった曲でもあるし、願いでもあるし、自分みたいな人に届いてほしいし。わたし、生きてて気づいたことを宝石みたいにコレクションしてるんですけど、これもそのひとつで、他の人とシェアすることによって、その人がちょっとでも自分のことを好きになれたり、近道を見つけられたりするならめちゃくちゃうれしいです。

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